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2006年1月16日開設
ここはM.A.S.Tとはまったく無関係の管理人の独り言や身の回りに起こったことを公開しております。
(※ここに記されている事柄は管理人の独り言も混ざっておりますので鵜呑みにはしないでください。)

 2005年に起こった福知山線の脱線事故について
  私はこの事件でマスメディアに対する意識を考えさせられた
  普段テレビを付けると何気なく流れているニュースや報道はあの事件があるまでは便利だと思ってはいた
  だがあの福知山線の脱線事故からは別物へと変わった・・・
  誰もが見たであろうJR西日本の列車がマンションへと衝突した大惨事、
  あれは報道の通りの悲惨な事故だった・・・
  私はその後の世間がどう動くのかを客観的に監視をしていた
  事故を知る視聴者としてではなくマスコミや視聴者を見る側として・・・
  事故直後にマスコミは一体何が起きていたのかを被害者に聞いて回っていた
  そして取り残されている乗客の安否や身元の調査を躍起になって報道した
  その後乗客が全員確認されると同時に一斉にマスコミが原因究明に乗り出した
  その時点で視聴者はメディアによって踊らされていると気づいておくべきだったのではと思う
  私はここである疑問を持っていた
  記者会見の時、JRは原因の究明を調査しているというのにマスコミはその中にあった台詞の一行を集中して報道をした
  その後に起こった混乱の火種の原因はこれだと私は考える
  確かにマスコミからすると気になる一言だったのかも知れないが
  報道の立場としてはどうであろうか、マスコミはそれを唯一の情報だと確信しその部分のみを報道した
  JRはあの時点で軽率な発言は控えたほうが良かったのは確かだがそれではマスコミのほうはどうだろうか・・・
  マスコミは報道の自由を盾にし最近は軽はずみな言動が多いのが現れてきている
  あの時点でJR側が根拠も無いまま発言したあの言葉「脱線の原因は置石による可能性もある」に対し
  マスコミは報道を控えるべきだったのではないだろうかと私は考える
  その一言を報道した結果世間の混乱を招いたという事をマスコミは自覚していないのが現状だ
  簡単に言えばマスコミ側は
   「報道をするのは自由だし真実を報道するのが我々の仕事だ、その後の世論や責任については関係ない」   ということになる
  マスコミは報道した時点で全責任をJR西日本に元から擦り付けるように細工をしていたのだ
  結果は上手く進みこの事件は報道の幕を下ろした・・・
  被害者も全責任はJRにあると報道によって思い込まされてもいた
  被害を受けて混乱をしながらただひたすら生き続ける時間の中にあらわれた報道・・・
  普通の人であればその時点で吹き込まれてしまえばそれによって洗脳されたようになってしまうであろう
  視聴者は加害者を教えてくれたマスコミに感謝をし、加害者は被害者にただ責められるのみ・・・
  簡単にそれが確立してしまう世の中になってしまっているのである
  視聴者は吹き込まれてしまった以上はそんな些細な事に構っている暇はないという考えを持ってしまうだろう
  だがここで少しでも疑問を持って生きていければという考えも大切なのである
  その事を思っている人間は世の中でどのくらいいるのだろうかと私は考えてしまう
  私の母親は「そんな事を考えるのはお前だけだ」と異端者として扱い始める始末に私は危機感を感じる
  その危機感の本性は母親に理解してもらいたいという所にだけあるようなのでそれだけに留まっている
  報道という仕事は結局は人間が行っているものであり全能ではないという事を理解はしている
  だがJRへのマスコミの対応は極端だった物と私は見ている
  原因をJRが発表するなりマスコミや世間はJR西日本という会社を潰し始めた
  結果は2006年1月の時点で最悪なものとなっている
  JR西日本は「誠意ある対応を」と迫られるものの付近住民からの協力が得られず悪者扱いを受けている
  事故が起こる前に戻ると明らかに世間は違っている
  人はあらゆる目的で便利な電車を使っていたのだ
  そしてJRはもっと便利にという名目の元、ダイヤを改正し超過密ダイヤとなり利用客はさらに便利になっていた
  世界でどんな会社でも会社を成長させるのは当たり前だろうし何かを増やすと利益が上がるのは当然の事だろう
  会社に不満を持っている人間なんて得に珍しくもないはずである
  しかしマスコミはその数人を優先的に報道し、いかにもこの会社が悪いと言わんばかりに攻め立てた
  視聴者はその部分しか見ていないのでそれが全てと思い込んでしまうだろう
  世間は利益を求めながら運営する会社が悪いと言いつつもJR西日本のみを潰した
  それはなぜなのか・・・
  答えは簡単である
  利益とはお金のことであり仕事をする人は皆お金がほしいから働いているのである
  それではなぜ皆がお金をほしがるのか・・・
  それはお金その物に価値があるのではなくその後に買うものに価値があるためである
  食べ物を買うにしてもお金だけあっても物がなければ意味がないのは事実である
  用は物がない時点でお金の価値は無くなってしまう
  お金は空腹を満たす事はできないから
  しかしお金を趣味にしている人間であれば話は別である
  近年の人間は価値観を取り違えているがゆえに生き方を間違える方向にあると私は考えている
  話をそらしてしまったため本題に戻す事にする
  JR西日本を報道しなくなってからのJRに対する嫌がらせはとても酷いものである
  これは報道も3行程度でされてはいたが酷いものだった
   乗車勤務を行うために電車を待っていたら電車がホーム内に入線している所にその車掌、運転手が突き落とされる
   JR西日本の広告への落書きや器物破損
   車掌への殴りかかり
  以上のほかにもあったと思うが利用者のモラルの低さがほとんどである
  しまいには下関駅放火事件である
  伝統ある駅舎だったのだが、むしゃくしゃしてやったとか言うイカレタジジイが取り壊さずに保存され続けていた旧駅舎を
  全焼させる始末・・・・
  これにも福知山線の影響が出ていたのは確かだった
  インタビューに答えていた人は皆「驚いた」「朝来たら無くなっていたのでビックリした」「寂しいですねぇ」
  だそうだ
  犯人に対する追求は何もないだけではなくコメントはそれだけというなんとも幼稚な報道だった
  この放火事件の真相はマスコミが福知山線からの世間を気にしたためである
  対応はあまり深入りをせず普通の事件に仕上げるという所だろう
  それは誰も責任を求められ辞職するような状態になりたくないからともいえる
  大手の雪印がそうなったのもマスコミが裏にあるためである
  殆どの事件は会社のトップや重役の辞表で締めくくられてしまうのがいまの日本の報道である事を理解すると
  終わりはそのうち見えてくるものであると私は考えている
  下関駅はそれが薄く表に出てきた例だと私は考える
  現にあの後の報道や世間の動きは何もない
  知らぬ間に世間は暗黙の了解としてJR西日本に対する嫌がらせを認めているのである
  これは今から60年程前に終わった太平洋戦争にもあった事実であるので私は他人事とは思えないような意識がある
  それは今回の話に出てきたマスコミがかつての戦争を薦めた権力者であり
  視聴者や世間が戦争を支持した国民である
  戦争の裏にも何かしら戦争の支持を促す広告を出し報道していたマスコミがいたことを忘れてはいけないと私は思う
  戦時中戦争は自らが悪者だと誰が思っていただろうか
  国民にそのような異端なことを考えていた者は少ないはずである
  福知山線の脱線事故も同じである
  JRを責めたのもマスコミが報道した物にノリで国民が支持してしまった結果である
  私は今後このようなノリに流されるような人間にはならないようにはしたい
  それが私の生き方でもあり考え方でもある以上はこれを活かして生きたいと考えている
  



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